祇園祭 「ちまき」 呪符

timaki.JPG
この「ちまき」は、祇園祭の宵山に各山鉾それぞれの御守等とともに得ます。
古来多発した真夏の京都の疫病・災厄を退散させるとされ現代人も毎年求める人が多いです。

ちまきに付いている「蘇民将来の子孫也」というのは
 八坂神社の祭神、スサノオノミコトが南海に赴く途中、日が暮れて宿を求めましたが
裕福な巨旦将来は宿を断り、貧しい蘇民将来はわらの布団とひえの食事を出して、
粗末ながらもあたたかくもてなしました。
スサノオノミコトはお礼として、以後蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束し、
その目印として茅の輪を腰につけさせたという説話が祇園祭のちまきの起こりといわれている。

「蘇民将来の子孫也」と札に書き、ちまきに添えて門口につっておくと
災厄が来たときによけてくれると呪いにされています。

【祇園祭の起こり】

平安時代、都の置かれた京都盆地の中央部は湿地帯でした。
都が、10万人規模の人口を抱えるようにると、都市独特の諸問題が頻出、
特に疫病(伝染病)の流行・蔓延や洪水などにたびたび襲われました。
その原因は、政治的に失脚したり、暗殺されて死んだ人達の怨霊による祟りだとする
怨霊信仰が自然発生的に起りました。
そのような疫病・災害が起こった時、その怨霊を祀り祟りを鎮める「御霊会」として行われた
臨時の祭りが祇園祭の出発点です。
[最初は御池通に残る神泉苑(=往時は今の何倍もある広大を持っていた)で行われました。]

千年ぐらい前には、平安京のすぐ郊外(都の周縁)にこの祭りを行う神社として、
北野社、今宮社、上・下の両御陵神社、祇園社などが置かれ、
毎年 郊外の神社から1年間の無病息災を祈願して平安京のまちなかを巡る神輿を出して、
災厄を祓い淨め、又神社へ戻るという定期的な「御霊会」として『祇園祭』が定着したものです。

御霊会は長い「鉾」(刃を持つ武具)に霊力を持たせ、街の空気を切払いながら巡って、
災厄を退散させる形から発し、その鉾を、きらびやかに豪華に飾りつけていったのが
今に伝わる山鉾になりました。

特に江戸時代町衆が経済力を持つと、山鉾を持つ各町内で競って趣向を凝らし、贅を尽くし
今見られるように大変な美術品、動く美術館とよばれるものとなって人々を惹きつけ止みません

No related posts.

Categories: お祭り・風習

Posted on: 15th 7月 2006 by: blogkyoto