シリーズ『日本の衣服ー技術と文化を語る』講演会

 「飛鳥から奈良時代の衣裳の変遷と染織文化」実際の着付け風景

京都染織文化協会主催の刺激的なセミナー シリーズ第2回目が開催されました。

第1回目は武田佐知子教授による「卑弥呼と古墳時代の女性衣装」・・・卑弥呼は何を着ていたか

まず日本の衣服の原点としてよく古墳時代・貫頭衣が出てきます。これはよく一幅の布の真ん中にあけた穴から頭を出すとされています。

武田教授はそうではなく、二枚の布を後身頃分だけはぎ合わせ、前は現在の着物のように打ち合わせて着ていたという発表に目から鱗。これが基層となっているという説には現在の着物の直結して非常に説得性が高いと興奮気味に納得してしまいました。

続く卑弥呼の時代、卑弥呼は当時最も勢いのあった中国の魏へ使いを送ります。魏の皇帝は、使いのお礼として卑弥呼に日本の王の意味がある「親魏倭王」(中国王朝の官僚の一つの位)の称号と金印、衣服をもたらしています。卑弥呼はこの魏の後ろ盾を利用して、さらに権力を高めたとされています。当時の中国は男性絶対主義、王が女性とは認めない筈であり、贈った衣服は当然男性の衣装だと考えられる。卑弥呼も生涯ただ一人の男性のみにしか姿を見せていないとされていることなどから、卑弥呼は、中国から称号や授ける品々をもった使者には会っていないと考えられる。

卑弥呼はこのもらった衣服を身につけ、金印は腰に紐で二重に巻いて身体から離さなかった。この王の衣装=男性衣装を着た可能性がある!という大変刺激的結論でした。

今回二回目は「飛鳥から奈良時代の衣裳の変遷と染織文化

今回の講師は、装束・法衣を作る会社の代表取締役の井筒與兵衛氏(風俗博物館館長でもある)

実業の方らしい柔軟で発想豊かな面白い講演でした.

まとめると以下のようになるかと・・・

『衣装は400年で粉々になってしまいわずかな資料(文章)から推論するしかない世界である。邪馬台国論争のように楽しい遊びの世界と考えられる』

衣装の繊維、生地の織り方、衣服の構造、冠や装飾品の素材、デザインなどすべて資料や残っている品物、たとえば中宮寺にある天寿国繍帳の図柄から推し量ったり阿武山古墳から出た帽子の縁の残った糸を復元して飾り刺繍を作ったりなど大変な手間と努力、衣装を作っている実力が成果になっているのです。

繊維も30年前に復元したものと現在の研究成果で本当は薄い布だったと判ってきた等実物の絹や麻・羅織物等珍しい反物を手にとらせてもらいながらのお話は面白かった。

復元された奈良時代の衣装

実際に復元された衣装を着付けているところ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井筒風俗博物館は西本願寺の向かい

京都市下京区新花屋町通堀川東入る(井筒法衣店5階)にあります。

こちらのHPにも時代衣装の詳しい説明や人形が着ている写真等が豊富です。

関連するポスト:

  1. きものでお茶屋さん遊び
  2. きものさんぽみち10周年記念パーティー
  3. お声明を着物で聴きに行きました
  4. 国際霊長類学会・ワオ着物登場2日目
  5. バリ島の更紗染工場
Categories: 和装小物, 展覧会・美術館・アート, 着物, 着物散策

Posted on: 12th 4月 2013 by: blogkyoto