玉の輿 と「摺疋田」 (すりひった)
西陣のお玉さんは、将軍の生母となり、のちに家光亡き後「桂昌院」となって
大奥に長く権勢を誇ります。
この頃の衣装は贅沢な意匠に尽くされ、中でも多く用いられた絞り染めの技法は、
時間と手間・費用が大変なものでした。
この華美の競い合いが、元禄年間「美服禁止令」となって金紗や刺繍、総鹿子(総疋田絞)などを禁じられます。
そこで代わりの染で、華やかさを出そうと、友禅染が大流行するのです。
こういう時代事情があった為、桂昌院は京都から友禅職人を呼び寄せ
新しい技法を研究開発させて出来上がった衣装が「桂昌院小袖」として現存しています。
(木の幹と枝の部分に、疋田絞りの代わりに型友禅で絞りのように見える「摺疋田」が染められています)
藤匠制作型友禅 『摺疋田』 白地に薄茶
これは桂昌院小袖に用いられた「摺疋田」技法を現代の着物によみがえらせた一枚。
“摺疋田”は古典文様として多く使われる柄ですが、大抵あしらい的な物に留まっていますが、
この脇役を主役にした着物です。
大きくすると、このように疋田絞りそのもの様によく出来ています。
この型友禅の技法は大変難しいのです、技術の粋を集めたと言えます。
◎絞のように均等でない型を彫ること(活き活きした絞りのような味わい)
◎摺るときに型の境目がわからないように染めなめればなりません(境目が付くと難物です)
この「摺り疋田」も職人さんが1ヶ月掛かります
染め上がった後は、『精魂使い果たしました、暫くお休みを下さい!』と音を揚げはるほどです。
どのような色柄の帯や羽織に難なく合わせられる凄い衣装です。
しかも気品と魅力を振りまき、着物の好きな方の究極の一枚と言えます。
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